放送大学で心理学を勉強し始めて一年経ちました関口さなえです、皆さまごきげんよう!
一学期は、慣れない専門用語が多く大変でした。
二学期は、心理学用語にも慣れて来て学習がスムーズに進んだ上に、専門的な内容も増えて来て、楽しく勉強することができました。
その中でも特に、人格心理学という科目が良かったので、紹介させてください。
人格の定義や、査定法、脳科学や発達心理学なども絡めて、わりと暗記的な要素が多く、前半は、かなか興味を持って進めることができなかったのですが・・・
途中から、前半の知識を応用して、実存主義や構造主義など哲学的な話との絡みや、カウンセリング療法のお話、ユング的な物語や神話の分析、そしてホロコーストやジェノサイド、戦争における心理学の功罪から、SNS社会における人格のとらえ方の変化など、非常に読み応えがありました。
海馬が大脳辺縁系に存在するとか位置を覚えてどうすんだよ・・・と思っていたけれど、ちゃんと後半の応用で生きてくる・・・学んだことが後で「あ、あの時のあれかっ!」となる辺り、上質な推理小説を読んでいるようでした、とまで言うと言い過ぎかな(笑)
傷つかない完璧な人格を持つことがゴールではない
弱さなど負の要素を認めて自己の中に受け入れていく、その統合こそが、人格の成長なのだ、と。
ついつい自分の「弱いところ」「悪いところ」を見つけて、撲滅・排除しようととしてきた。
だから「健全で強くてすごい人になる方法」的な「やり方」の本を読んで、自分の弱い悪いところを摘出しようともがいてきて、行き詰まっていた。
ユングがそういった心理的な葛藤のことを、
人生の前半で置き去りにしたもの(弱さ)に対して、無意識が全体性を取り戻そうとする
ためのもの、と解釈していて、ここ数年の心理的な葛藤の意味が浮き上がって来た。
ここ数年、正に「中年の危機」で、私は「あり方」を見直すことが必要だったのだ。
症状が問いかけてくるものに開かれたのは・・・自分を超えた力によって
(そういう心理的な葛藤は)自分にとっては不都合でやっかいなものであるが、それを力で排除したり克服したりするのではなく、その症状が問いかけてくるものに開かれて、私たちの生き方を問い直すことで、人格の変容あるいは成長があるのである。
あーもう、すっごい排除しようとし続けたし、負けたくない、降伏したくない、今までの人生を否定したくないと、完全に「閉じて」抵抗し続けた。
弱い自分を叩き直そうと、ハウツー本を読んだり、旅に出たり、修行に出たり、心理学を勉強したり、各種カウンセリングを受けたり、踊ったり・・・自我ができることは、もう、全てやったよ・・・と、出雲大社にお参りに行った先に、心身が停止してしまった。
1ヶ月ダウンして「ちゃんとした人」を止めざるを得なかったことが、ある種「降伏」であり、「中年の危機」が私の人生に問いかけているものに「開かれる」一歩となった。
世界に流布している「手なし娘」の民話の紹介から、
意識でできることは全てやり切った、その時超越した力が現れる
というのも、何か腑に落ちる。
無駄な抵抗もプロセスだったという意味も含めて。
そして、出雲大社の神様の誰かが、懲りずに走り続けようとする私に、ひょいと足を引っかけて←超越した力(笑)、転ばせてくれたおかげ、とか思っている。
人格の成長は自我の拡大ではない
という一文も、これまでのことをまとめたようで、とても感じるものがあった。
自己の確立や自我の拡大の物語とは、異なった自己の成長の理論に開かれていくことが、ある意味で近代的な能動性の行き詰まりを感じている私たちにとっては必要であろう。
もう、ヘドバンギャー(BABYMETALの曲)うなづきまくりです。
今まで、7つの習慣とか、自分をGoogle化するとかの、人の能力を最大化させる的な「近代的な能動性」「自我の拡大」を志向して来たけれど、思いっきり行き詰まっていたなぁ。
心理学的な意味での真の変容が生じるのは、私たちの能動性や自己性というものを徹底的に失ってしまい、こちら側が作り出すものではなく、向こう側から呼びかけてくるような、新たな自己像の到来によるものである。
でも、「新たな自己像」って、なんかまだ、モヤッとしてるなぁ。
ナラティブセラピーとブログを書くということの意義
また、気になっていた「ナラティブセラピー」について勉強できたのも良かった。
改めて書きたいと思っているのだけれど、
私が私について語ると私が統合されていく
という営みを、私は、10年以上ブログを書くことで、続けて来たのかなと思いました。
だから、ブログを読んで下さるあたなは、私にとってのカウンセラーであり、本当に有難い存在です、ありがとうございます。
そして、毛穴を閉じるとか、美人になるとか、お金を稼ぐとか、そういうもの以上の何か、私という人格にとって必然性のあるプロセスだったのだと思って、非常に感慨深かった。
講義聴きながら、教科書を胸に抱いたよ(笑)
そして、これから起こることにも、七転八倒しつつ、その豊かな意味世界に開かれて行きたいと思いました。
この科目を通じて、心理学的な思考と手法をつかって「私」を探求していく、その態度を学んでいってほしい
テストが終わって、この第一章最後の一文を、改めて受け止めました。
ありがとう大山先生!