1年前の自分って、何から何まで、一日中常に自分を責めていたな~と懐かしく思う関口さなえです、皆さまごきげんよう!
最近ちょっと変化が出て来ました。
自分責めしてた頃の「ある日の二度寝」
朝夫を送り出した後、眠気を感じ、ダメだと思いながら床で寝てしまう。
→罪悪感と共に起き、自堕落な自分を責め始める
→床の上で布団もかけず寝たから、身体が痛い・・バカな私
→自己嫌悪の塊となり、現実逃避にTVを見てお菓子を食べる
→さらに自分を責めまくって、フテ寝
→目が覚めて、情けない自分をさらに責めて落ち込んで過食・・・
一生やってろっ(笑)
って今だから思えるのだけれど、あらゆる場面で、この自分責めスパイラルに飛び込み、そして抜け出せない日々だった。
ほんと、バカなんだけど、どうしようもなくって、もがけばもがくほどズブズブとハマっていくようで、つらかった。
「休むことは悪いこと」じゃないよ
とにかく、休もうとすると、罪悪感が募ってしまう。
何かをしていること、役に立つこと、勤勉なこと、生産性が高いこと・・・それが「正しい」こと。
大塚あやこさん(師匠)のブログ:「正しさ」を疑え 「逆」を受容せよ!意識のアップデートはここから始まる
「生産性が高くなければ、生きている意味がない」
「役に立たなければ、生きている価値がない」
ずっとそう思って生きて来てしまった。
引きずり降ろされるような恐怖を感じながら、必死で、下りのエスカレーターを駆け上がっていた。
止まったら、落ちる。
そんな恐怖感が常にあって、止まったら地獄に落ちてしまう・・・
★
そんな「ビリーフ」、信じ込みに、師匠の元で向き合い、いよいよ緩んで来た。
#皆さまもこんな信じ込み、ありませんか?
・ちゃんとしなくちゃ
・しっかりしなくちゃ
・苦しいなんて言うのは甘えだ
・間違えることは恥だ
・弱さを見せてはならない
・頼ってはダメだ、甘えてはダメだ
・やり始めたら続けなくてはいけない
・落ち度があってはいけない
・欠点は克服しなければならない
・嫌なこともがまんしなくちゃいけない
(生きづらい人はコレにやられているより)
自分を責めなかった「ある日の二度寝」
先週こんな日があった。
朝、夫を送り出した後、眠気を感じたので、布団を敷いて寝た。(目覚ましかけて)
→1時間後、すっきりと起きて心身共に快調
→体の要望にきちんと応えた自分を褒める
→いつも通り仕事
→心身のコンディションが良く充実した一日に
今まで、これができなかった・・・だから、潔く布団を敷いて寝た自分が、すごく誇らしかった(笑)←アホか
★
自分を責めて、お尻を叩いて頑張っていた時より、
「生産性が高くなければ、生きている意味がない」と頑張っていた時より、
今日のノルマが達成できていないからと、24時を回ってもブログを書き続けて不眠症になっていた時より、
生産性が上がっているというw
自分を責める代わりに、受け止める
例えば、非行に走った子供を責めるのではなく、その心の声を受け止めてあげることで更生した、なんて話があるけど、それみたいな。
愛が足りないのよ、責めてばっかりなのよ、自分を!
過食嘔吐の件でも書いたけど「自分を守る自分」の登場が、状況を少しずつ変えて行った。
「自分を守る自分」は、ちゃんと自分の声を聴き、要望に応えようとしてくれる。
それでもやっぱり「甘えだ!」って自分を責める声は消えないけれど、完全に消えたら社会生活送れなくなりそうだし(笑)、まあ、これからは3人でうまくやればいいんじゃないかな。
こういうの、前もあったな・・・エンプティチェアだ・・・自分自身の再構築。
・「エンプティチェア」体験記2:自分を受け入れて再構築する@ゲシュタルト療法・東京
師匠のブログを読んで、そして気持ち良い二度寝を振り返ってたら、また新たな視点で「自分を受け入れて再構築する」ことができた♪
それも私、あれも私、これも私、みんな私。
何かのきっかけで過食嘔吐をしても、しなくても、どっちでもいいかな、だってそうなっても今の私なら大丈夫そうだし、過食嘔吐をする私もまた、私なのだから。
夜が明ける。